2023年2月6日、トルコ南部を震源とする直下型地震が発生し、激しい揺れに襲われたトルコと隣国シリアでは、大きな被害が出ています。トルコではアナトリアプレート、ユーラシアプレート、アラビアプレート、アフリカプレートという4枚のプレートがひしめきあっている、地震多発地帯で、これまでにも大規模な地震が繰り返し発生してきました。 【画像】富士山が噴火したら、溶岩流はどこまで到達するのか…衝撃的な被害規模を予測 さて、4枚のプレートがひしめきあっている地域といえば、私たちの住む日本も同じです。そして、このプレートの境界に位置するのが、活火山「富士山」です。これまでの記事で、富士山噴火の際の火山噴出物や、それによる被害や防災について解説してきました。今回は少し視点を変えて、富士山の立地条件と噴火、そして地震との関わり合いを見てみたいと思います。 *本記事は、『富士山噴火と南海トラフ』を一部再編集の上、お送りしております。
沈黙の富士山が再び噴火するとき
1707年の宝永噴火以来、300年ものあいだ沈黙を保っている「富士山」。長い沈黙の時間によって、多くの日本人は「富士山が噴火するなど思いもよらない」と思いがちだが、いうまでもなく、このまま噴火をしないでいるということはありえないのである。 では、次に富士山はいったい、いつ、どのように噴火するのであろうか。これを考えるにあたり、どうしても外すことができないのが、地震との関係である。実は火山噴火と地震とは、地理的にみても、また歴史的にも、密接に連動しながら発生してきている。 とくに富士山の噴火は、次に来る巨大地震の震源と予測されている南海トラフの動向を抜きにしては語れないのである。そこで本記事では、富士山と南海トラフとの関係を見ていきながら、これからの富士山がどうなるのかを考えてみたい。
特殊な日本列島の、特殊な場所にある富士山
まず、日本列島全体のスケールの中に富士山をおいてみて、この山がどのような位置を占めているのかを見ていこう。 わが国は四方を海に囲まれた島国であり、いくつもの島が総計3000キロメートルを超える距離にわたって並んでいる。地球科学ではこうした島々を「弧状列島」と呼ぶ。 日本列島の成り立ちは、「プレート」という岩板の動きで説明できる。地球の表面は7割が海、また3割が陸で占められている。陸地は岩石からできているが、海の底にも同じように岩石がある。世界中の海底と陸地は、大きく見て11個ほどのパーツに分けられる。 つまり、地球の表面は11枚ほどのプレートという岩石からなる厚い板によって分割され、この板がプレートと呼ばれているのだ。プレートには陸をつくる「陸のプレート」と、海をつくる「海のプレート」がある。 このうち日本列島には、4枚のプレートが関わっている。すなわち、列島をつくる陸の部分はユーラシアプレートと北米プレートという陸のプレートからできていて、東の沖合に広がる太平洋には太平洋プレートとフィリピン海プレートという2枚の海のプレートがある。 このような陸のプレート2枚と海のプレート2枚、あわせて4枚ものプレートの相互運動によって、日本列島は約2000万年前に誕生した。このような場所は、世界でも稀である。 そして、日本列島の中でも富士山の近傍には、北米プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレートが集まった場所がある。これは「プレートの三重会合点」とも呼ばれていて、3枚ものプレートが重なり合う地球上でもきわめて珍しい場所なのである。
引き裂かれるフィリピン海プレート
ところで、日本列島の太平洋側では前述のように、海側のフィリピン海プレートが陸側の北米プレートとユーラシアプレートの下に沈み込んでいる。その海底では、西から東へ順に、南海トラフ・駿河トラフ・相模トラフという凹地が形成されている。なお「トラフ」とは一般に、海溝よりも浅くて幅広い海底の凹地を指す。 富士山の位置は、駿河トラフと相模トラフが陸上へ延長した線の交点にあたる。すなわち富士山の直下では、フィリピン海プレートがその西側では駿河トラフから北西方へユーラシアプレートに沈み込み、東側では相模トラフから南東方へ北米プレートに沈み込んでいる(なおフィリピン海プレートの西方部分は東海スラブ、また東方部分は関東スラブとも呼ばれる)。 こうしてフィリピン海プレートは、2つの陸のプレートの下に沈み込むことによって、東西に引っ張られる力が働いている。つまり地下深部では、沈み込むにしたがって東西に引き裂かれつつあるのだ。 プレートのさらに下には、マントルがある。マグマはここでつくられる。地下深くで生産された大量のマグマは、フィリピン海プレートに裂け目ができることで上昇しやすくなっている。そのため富士山では、長期間にわたってマグマが噴出しやすい状況が続いている。 富士山は日本列島で最大の火山だが、海のプレートをつくる玄武岩質のマグマが大量に噴き出ることで成長してきた。その理由の1つは、海のプレートが引き裂かれる特異な場所にあってマグマが容易に上昇したためと考えられているのだ。これが富士山を地理的に見たときのきわめて大きな特徴となっている。
富士山の下から、富士山が出てきた!
さて、では富士山のどこからマグマが出るのかを考えるためには、噴火の履歴をくわしく見ていくとよい。そのために、今度は富士山の過去の歴史を振り返ってみよう。 富士山は特異な生い立ちをもっている。 どの火山でもそれぞれ特徴はあるものなのだが、とくに巨大な山体をもつ富士山は、実に意外な構造を秘めていることが、近年の地質調査であらためてわかったのである。 東京大学地震研究所は、富士山北東側の五合目にある小御岳の周辺で坑井による掘削調査(ボーリング)を行った。5ヵ所で最深650メートルまで掘り進み、地下の状態を調べるために使われる「コア」と呼ばれる円柱状にくりぬいた岩石を、地下深部から引き上げた。その岩石をくわしく調べたところ、これまで富士山にはなかった種類の岩石が見つかったのである。 富士山には長い噴火の歴史がある。約10万年前から現在まで、数百年おきに大きな噴火を繰り返して現在の富士山が形成されたのであり、最初から現在のような形ではなかった。 従来の調査で、富士山の活動は約1万年前を境に「古富士火山」と「新富士火山」に分けられ、現在の富士山は新富士火山で、その下に古富士火山が埋まっていることがわかっていた。この2つの山体は、いずれも玄武岩からできている。 さらに1930年代に、古富士火山の下には別の山体があることがわかった。小御岳神社の付近の地表には、富士山では珍しい安山岩の溶岩が露出していることを、東京大学地震研究所で長年富士山の研究をしていた津屋弘逵教授が発見したのだ。 戦前戦後にかけて富士山をくまなく歩いて調査し、富士山の全域にわたる地質図を最初に作った津屋教授は、あるとき、小御岳神社の脇に玄武岩よりもやや色の薄い灰色の溶岩を見つけた。彼は古富士火山をつくる前に形成されていた火山体の一部と判断して、これを「小御岳火山」と命名した。
富士山は「4階建て」だった
小御岳火山は富士山の基盤をつくっていた火山だったのだ。ここに、富士山は「小御岳火山」「古富士火山」「新富士火山」の三重構造をもっていることがわかった。ところが、近年の東京大学地震研究所の調査で、さらなる事実が判明したのである。 この坑井調査で、地下300メートルより深いところから角閃石を含む安山岩が出た。角閃石とは、火山岩に含まれる鉱物の一種で、地下のマグマが冷えた際にできたものである。数ミリメートルの大きさの結晶で、日本産の安山岩にはごく普通に見られる。拳ほどの大きさの安山岩を野外で太陽の光を当てながら観察すると、ピカピカ黒く光る角閃石が容易に判別できる。劈開面と呼ばれる結晶の割れた面に艶があって光るのだ。 しかし、富士山から噴出した火山岩の中で、角閃石が産出されるのは初めてのことだった。そして、小御岳火山の下から得られた岩石が角閃石を含んでいることから、そこに小御岳火山とはまったく異なる山体が存在していることがわかったのである。 この結果、富士山には新富士火山、古富士火山という玄武岩質の火山体の前に、安山岩質の小御岳火山があり、さらにその前に、別の火山体があったことがわかったのである。おそらく、鉱物を変化させながら、多様な噴火を起こしたのだろう。 角閃石を含む火山体は、東京大学地震研究所の研究者らによって「先小御岳火山」と名づけられた。こうして富士山は下から、先小御岳火山、小御岳火山、古富士火山、新富士火山という「4階建て」の構造をもつことが明らかとなったのである。
富士山の基盤をつくった火山活動
ここで富士山の生い立ちを、時間を追って少し整理してみよう。 先小御岳火山の活動(数十万年前~十万年前) 最初に、先小御岳火山が数十万年前に活動を始めた。この火山は現在の富士山を構成する玄武岩だけではなく、安山岩やデイサイトも多く含む火山体であった。富士山の周辺にある愛鷹火山や箱根山のような火山だったのではないかと考えられている。 その後、小御岳火山が先小御岳火山の上に形成された。これは10万年前くらいまで活動を続けていた火山であり、先小御岳火山と異なり安山岩と玄武岩の溶岩を噴出している。先小御岳火山と小御岳火山は、いずれも現在の富士山の基盤をつくった火山である。 古富士火山の活動(10万年前~1万年前) このあとからいよいよ富士山の本体をつくった活発な活動が始まる。まず、10万年前から1万年前までの古富士火山の活動である。 最初に小御岳火山の南斜面で大規模な噴火が始まり、1万年前まで大量のスコリア(黒い軽石)や火山灰を降り積もらせた。それ以前の活動が、溶岩を流し出すなどの比較的おだやかな活動であったのに対して、古富士火山の噴火は基本的には非常に爆発的なものであったようだ。 実は、富士山で最初に巨大な成層火山をつくったのが、古富士火山の時代である。古富士火山が爆発的な噴火をしたことは、この時期に膨大な量のスコリアと火山灰を関東一円に降り積もらせた事実からわかる。そのことは、残された堆積物の詳細な地質調査からわかっている。 スコリアと火山灰は、火山学では「テフラ」(tephra)と呼ばれている。もともとギリシャ語を語源にもつ言葉で、「灰」といった意味である。空から降ってくるので「降下テフラ」という用語もよく用いられる。 古富士火山から噴出したテフラは、南関東の広い範囲に厚く積もった。大量のスコリアと火山灰が、偏西風によって富士山の東へ飛来したのである。これらのテフラは、場所によっては10メートル以上も堆積し、新たに地層を形成した。関東平野を広く覆う関東ローム層と呼ばれる軟らかい地層である。 関東ローム層は富士山だけでなく、神奈川県の箱根火山などから噴出したテフラからもつくられているが、関東地方南部に広く分布する立川ローム層には、富士山から飛んできたテフラが数多く含まれている。いわゆる赤土と呼ばれる褐色の土壌であり、地表近くを覆う真っ黒な土のすぐ下に見ることができる。古富士火山からは、1万1000年前くらいまで、大量のテフラが広い範囲へまき散らされていたのである。 新富士火山の活動(およそ1万1000年前以降) 次に、新富士火山について見てみよう。新富士火山の活動は1万1000年ほど前から始まったのだが、古富士火山とはかなり活動の様子が変わっている。 一言で述べれば、さまざまな噴火様式が開始されたのである。降下テフラだけでなく、溶岩も大量に流し、さらに噴石や軽石も飛ばした。 また、マグマを噴出した場所が一定ではない。これは山頂の火口だけでなく、山麓にある側火口も頻繁に使われるようになったということである。さらには、古富士火山の時代にも複数回あった、山の側面を崩す山体崩壊までも起こしている。
次の噴火は前回の続行か? 新たな様式か?
新富士火山の活動から「噴火のデパート」と呼ばれる状況が始まり、それは現在まで続いている。この時期の活動をくわしく知ることは、将来噴火の予測をするうえでもたいへん重要である。 実は、新富士火山の1万1000年以後の火山活動は、大きく5つのステージに分けられている。現在のところ最後のステージである「ステージ5」での、最新の活動は、記事〈いま「富士山」が噴火したら…その「ヤバすぎる威力」と「凄まじい影響範囲」〉でも取り上げた1707年の宝永噴火である。 この宝永噴火も含め、ステージ5では山腹噴火が多発した。宝永噴火から300年以上も経った次の噴火が、これまで通りステージ5の山腹噴火を起こすのか、あるいは新たなステージ6の噴火を起こすのか、予断を許さないという見方である。 ◇ 富士山の噴火史については、『富士山噴火と南海トラフ』において、5つのステージ分けて詳説しています。来るべき新たな噴火、そしてそれはステージ6への幕開けとなるのか? 未来に資する知見を、今一度本書でご確認になってみてください。 ---------- 富士山噴火と南海トラフ――海が揺さぶる陸のマグマ ----------
鎌田 浩毅(京都大学名誉教授)
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浩毅!トイレに紙は有ったか???
無い?
どうせ、オムツしてるだから、
漏らしても関係ないか???
浩毅!!
可愛いな!鎌田浩毅君は!!!